大観、青邨、古径が認めた夭折の天才、晩年の傑作
伝統とモダンの融合
《瓶梅図》が描かれた時代の東京は、関東大震災の復興事業を通じモダン都市へと変貌をとげていました。人々の暮らしも伝統と西欧的モダンが融合した新しい生活様式へと変化しつつありました。《瓶梅図》は東洋画の伝統に立脚しながら、今なお清新でモダンな感覚に満ちています。《瓶梅図》に描かれた紅白の梅は、かつて参禅修行した野火止平林寺境内に咲いていた想い出深い花です。平林寺で苦労を共にした弟子の高橋周桑(たかはししゅうそう)がもたらしたものです。この梅を自身が所有していた伊万里の壺と組み合わせ、生け花という古典的道具立てを借りつつ、現代的生活感覚を盛り込み、今なお新鮮な魅力に溢れる静物画を生み出したのです。
速水 御舟(はやみ ぎょしゅう 1894~1935)
1894年、東京浅草に誕生。1908年、松本楓湖の安雅堂画塾に入門。1914年、雅号を「禾湖(かこ)」から「御舟」に改める。再興第1回院展に≪近村(紙すき場)≫を出品し、院友推挙。1917年、再興第4回院展に≪洛外六題≫出品、横山大観らの激賞を受け同人推挙。1920年頃より静物画に集中的に取り組み、再興第7回院展に≪京の舞妓≫を出品。1921年、≪茶碗と果実≫≪白磁の皿に柘榴≫≪赤絵の鉢にトマト≫などの細密描写による静物画連作を制作。1925年、≪炎舞≫(重要文化財)を制作。1929年、本作≪名樹散椿≫(重要文化財)制作。1930年、イタリア政府主催・ローマ日本美術展の美術使節として渡欧。1935年、腸チフスに罹患し、40歳で逝去。
監 修 速水 夏彦
解 説 石井 幸彦 (世田谷美術館主席学芸員)
原画所蔵 プライベートコレクション
技 法 彩美版® シルクスクリーン手刷り(パール、銀、本金一部使用)
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