日本美術史に残る傑作
明治末期から昭和初期にかけて40年という短い生涯を流星のごとく駆け抜けた日本画家、速水御舟の代表的な大作≪炎舞≫は、1925年夏に家族と滞在した軽井沢にて、夜の庭で行ったたき火の明かりに誘われる蛾から着想を得て創られました。夜の深い闇に高々と燃え上がり、変化する炎の色と形の不思議な美しさ。その炎にまとわりつき身を焼き尽くす、彩り鮮やかな蛾の舞い。丹念に描き込まれた蛾の表面の美しい模様と背景の深い闇、そして燃え上がる火炎の対照的な描写に、本作に込められた画伯の精神が表現されています。1977年、本作《炎舞》は、同じく速水御舟が描いた《名樹散椿》とともに重要文化財に指定され、名実ともに日本絵画史に残る至宝となりました。
速水 御舟(はやみ ぎょしゅう 1894~1935)
1894年、東京浅草に誕生。1908年、松本楓湖の安雅堂画塾に入門。1914年、雅号を「禾湖(かこ)」から「御舟」に改める。再興第1回院展に≪近村(紙すき場)≫を出品し、院友推挙。1917年、再興第4回院展に≪洛外六題≫出品、横山大観らの激賞を受け同人推挙。1920年頃より静物画に集中的に取り組み、再興第7回院展に≪京の舞妓≫を出品。1921年、≪茶碗と果実≫≪白磁の皿に柘榴≫≪赤絵の鉢にトマト≫などの細密描写による静物画連作を制作。1925年、≪炎舞≫(重要文化財)を制作。1929年、本作≪名樹散椿≫(重要文化財)制作。1930年、イタリア政府主催・ローマ日本美術展の美術使節として渡欧。1935年、腸チフスに罹患し、40歳で逝去。
監 修 山種美術館館長 山崎妙子
解 説 山種美術館館長 山崎妙子
原画所蔵 山種美術館
技 法 彩美版® シルクスクリーン併用、一部本金泥使用
ご購入等につきましては下記のフォームより お問い合わせください。